香取神宮 : Katori Jinja

You are here Home  > >  香取神宮 : Katori Jinja
Item image

香取神宮(かとりじんぐう)は、千葉県香取市香取にある神社。式内社(名神大社)、下総国一宮。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。
関東地方を中心として全国にある香取神社の総本社。茨城県鹿嶋市の鹿島神宮、茨城県神栖市の息栖神社とともに東国三社の一社。また、宮中の四方拝で遥拝される一社である。

千葉県北東部、利根川下流右岸の「亀甲山(かめがせやま)」と称される丘陵上に鎮座する。日本神話で大国主の国譲りの際に活躍する経津主神(フツヌシ)を祭神とすることで知られる、全国でも有数の古社である。
古くは朝廷から蝦夷に対する平定神として、また藤原氏から氏神の一社として崇敬された。その神威は中世から武家の世となって以後も続き、歴代の武家政権からは武神として崇敬された。現在も武道分野からの信仰が篤い神社である。

文化財としては、中国唐代の海獣葡萄鏡(かいじゅうぶどうきょう)が国宝に指定されている。建造物では江戸時代の本殿・楼門、美術工芸品では平安時代の鏡、中世の古瀬戸狛犬が国の重要文化財に指定されており、その他にも多くの文化財を現代に伝えている。

祭神:
経津主大神 (ふつぬしのおおかみ)
別名を伊波比主神/斎主神(いわいぬしのかみ)、斎之大人(いはひのうし)

社伝では、初代神武天皇18年の創建と伝える。黎明期に関しては明らかでないが、古くは『常陸国風土記』(8世紀初頭成立)にすでに「香取神子之社」として分祠の記載が見え、それ以前の鎮座は確実とされる。
また、古代に香取神宮は鹿島神宮とともに大和朝廷による東国支配の拠点として機能したとされるため、朝廷が拠点として両社を祀ったのが創祀と見る説がある。これに対して、その前から原形となる祭祀が存在したとする説もある

延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳には下総国香取郡に「香取神宮 名神大 月次新嘗」と記載されており、式内社(名神大社)に列し、月次祭・新嘗祭では幣帛に預かっていた。なお、同帳で当時「神宮」の称号で記されたのは、伊勢神宮・鹿島神宮・香取神宮の3社のみであった。また下総国では一宮に位置づけられ、下総国内からも崇敬されたという。

中世、武家の世となってからも武神として神威は維持されており、源頼朝、足利尊氏の寄進に見られるように武将からも信仰された。
香取神宮は、常陸国一宮の鹿島神宮(茨城県鹿嶋市、位置)と古来深い関係にあり、「鹿島・香取」と並び称される一対の存在にある。
鹿島・香取両神宮とも、古くより朝廷からの崇敬の深い神社である。その神威の背景には、両神宮が軍神として信仰されたことにある。古代の関東東部には、現在の霞ヶ浦(西浦・北浦)・印旛沼・手賀沼を含む一帯に「香取海(かとりのうみ)」という内海が広がっており、両神宮はその入り口を扼する地勢学的重要地に鎮座する。この香取海はヤマト政権による蝦夷進出の輸送基地として機能したと見られており、両神宮はその拠点とされ、両神宮の分霊は朝廷の威を示す神として東北沿岸部の各地で祀られた。


Our address

Address:
千葉県香取市香取1697
GPS:
35.886093, 140.52869810000004

Leave a review

Price
Location
Staff
Services
Food

Close Comments

Leave a Comment

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください