英彦山神宮 : Hikosan Jingu

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英彦山神宮(ひこさんじんぐう)は、福岡県田川郡添田町の英彦山にある神社である。旧社格は官幣中社。通称彦山権現。日本有数の修験道の霊場として栄えた。
天忍穂耳尊を主祭神とし、伊佐奈伎尊・伊佐奈美尊を配祀する。
英彦山は、北岳・中岳・南岳の三峰からなり、中央にある中岳の山頂に当社の本社である「上宮」があり、英彦山全域に摂末社が点在する。
英彦山は古代より神体山として信仰されていたとみられる。当社の開基については次のような伝承がある。継体天皇25年(531年)、北魏の僧・善正(ぜんしょう)が英彦山山中で修行中に猟師・藤原恒雄こうゆう(のちの忍辱〈にんにく〉)に会い、殺生の罪を説いた。しかしそれでも恒雄は猟を続け、1頭の白鹿を射た。その時、3羽の鷹が出現して白鹿に檜の葉に浸した水を与えると、白鹿は生き返った。それを見た恒雄は、この白鹿は神の化身なのだと悟り、善正の弟子となって当社を建立したという。
また別の伝承では祭神忍骨命の降臨した地とされて山上に一祠が建てられたのが起源とも云う。清和天皇代の貞観7年(865年)に従四位上を授けられたとあり、延喜式神名帳にも忍骨命神社として名を残す。
いずれも伝承で実際の歴史は、11世紀初頭に増慶によって中興されるまでについては不詳である。しかし早くから神仏習合し彦山「権現」の名を用いていた。

「英彦山」という山名は、社伝では天照大神の御子(日の御子)である天忍穂耳尊を祀ることから「日子山」と呼ばれるようになったとしている。弘仁10年(819年)、僧・法蓮が、山中で飛来した鷹の落とした羽に「日子を彦と改めよ」と記されているのを見て当山を再興し、「日子山」を「彦山」に改めたとされる。
12世紀より天台宗に属し、西国修験道の一大拠点として栄えた。元弘3年(1333年)、後伏見天皇の第八皇子・長助法親王(後の助有法親王)を座主に迎えて以降、座主はそれまでの輪番制から世襲制となった。現在の社家・高千穂家はその末裔である。


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福岡県田川郡添田町英彦山1
GPS:
33.47788071575614, 130.92612947331241

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