坐摩神社 : Ikasuri Jinja

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坐摩神社(いかすりじんじゃ)は、大阪府大阪市中央区にある神社。式内社(大社)で、摂津国一宮を称する。旧社格は官幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。神紋は「白鷺」。
正式な読み方は「いかすりじんじゃ」だが、一般には「ざまじんじゃ」と読まれることが多く、地元では「ざまさん」の通称で呼ばれる。

大阪市中心部の船場にある古い神社で、同地の守護神的存在である。南御堂の西隣に位置し、境内は東向きで、入口では大小3つの鳥居が横に組み合わさった珍しい「三ツ鳥居」が迎える。
住居守護の神、旅行安全の神、安産の神として信仰されている。最終の神階は従五位下。

祭神は以下の5柱で、「坐摩神」と総称している。
生井神 (いくゐのかみ) – 井水の神(生命力のある井戸水の神)
福井神 (さくゐのかみ) – 井水の神(幸福と繁栄の井戸水の神)
綱長井神 (つながゐのかみ) – 井水の神(「釣瓶を吊す綱の長く」ともいわれ、深く清らかな井戸水の神)
波比祇神 (はひきのかみ) – 竃神(屋敷神。庭の神)
阿須波神 (はすはのかみ) – 竃神(足場・足下の神。足の神であり旅の神)
祭神の5柱の神は、『古語拾遺』等によると神武天皇が高皇産霊神・天照大神の神勅を受けて宮中に祀ったのが起源とされ、神祇官西院で坐摩巫(いかすりのみかんなぎ)によって祀られていた。

「いかすり(ゐかすり)」の語源には諸説あるが、坐摩神社では、「居住地を守ること」という意味の「居所知」(ゐかしり)の転と説明している。また、『延喜式』には「さかすり」の訓も記されている。

当社の始まりは、神功皇后が三韓征伐より帰還したとき、淀川河口の地に坐摩神を祀ったことだとされる。今でも旧社地であった坐摩神社行宮には「神功皇后の鎮座石」と言われる巨石が祀られている。延喜式神名帳では摂津国西成郡唯一の大社に列し、住吉大社と同じく摂津国一宮を称している。『万葉集』の中には、難波津から西国へ向かう防人が旅の安全を坐摩社に祈る歌がある。

創建時の社地は現在と異なり、渡辺津・窪津・大江などと呼ばれたかつての淀川河口である。旧社地は遷座後に御旅所が置かれた現在の中央区石町(こくまち)に推定され、天神橋 – 天満橋間の南、近世以降「八軒家」と呼ばれる地に概ね該当する。なお、石町には摂津国の国府も置かれており、町名は国府の転訛と言われている。平安時代後期には源融にはじまる嵯峨源氏の源綱(渡辺綱)が渡辺津に住んでこの神社を掌り渡辺を名字とし、渡辺氏を起こした。渡辺綱の子孫は渡辺党と呼ばれる武士団に発展し、港に立地することから水軍として日本全国に散らばり、瀬戸内海の水軍の棟梁となる。
渡辺津は窪津ともよばれ、京からの船が着く熊野古道の基点でもあった。熊野三山への参詣道沿いに立っていた「熊野九十九王子」のうち、最初の「窪津王子」はこの坐摩神社行宮の場所にあったと思われる。

天正11年(1583年)の大坂城築城に際して、西横堀川に近い現在地に遷座した。本町通にも近く、多くの物売りや見せ物が門前に集まった。

1871年(明治4年)に府社に列したが1936年(昭和11年)には官幣中社に昇格し、官幣社にふさわしい新社殿が造営された。しかし1945年(昭和20年)の第一次大阪大空襲で焼失した。現在の社殿は1960年(昭和35年)に外観を1936年の社殿に模して再建された鉄筋コンクリート造りのものである。今も陶器祭りが行われている。


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