射水神社(富山) : Imizu Jinja

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射水神社(いみずじんじゃ)は、富山県高岡市の高岡古城公園内にある神社。式内社(名神大社または小社)、越中国一宮。旧社格は国幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。神紋は祭神の瓊瓊杵尊にちなみ「稲穂」。

瓊瓊杵尊 (ににぎのみこと)
歴史的には、伊弥頭国造(いみづのくにのみやつこ)の祖神とされる二上神(ふたがみのかみ)であった。二上神は二上山(ふたがみやま)山麓の二上射水神社に祀られている。

創建は奈良時代以前のこととされる。社伝によれば、当神社は二上山を神奈備とし、太古よりその麓に鎮座していたが、養老元年(717年)に行基が勅を受けて二上山麓に別当寺を建立し、二上神を二上権現と称して祀ったのだと言う。別当寺は山号を「二上山」、寺号を「養老寺」と言い、二上山全体を境内として社地殿閣広大であったと伝えられている。しかし、『日本の神々 -神社と聖地- 8 北陸』によれば、この養老元年開基説については疑問を呈する向きが多いと言う。
当神社は二上神の名で度々六国史に登場し、神階の陞叙を受けている。以下は時系列的に並べた神階の授与である。

いずれの陞叙も高瀬神社と同時・同階で、共に越中国最高位の神社として朝野の崇敬を受けていた。 『日本文徳天皇実録』斉衡元年(854年)12月27日の条では、二上神の祢宜と祝(はうり)が把笏に預かったことが記載されているが、『日本の神々 -神社と聖地- 8 北陸』によれば、古代に笏を把ることを許されたのは伊勢神宮と諸大社の神職のみであったと言う。
8世紀後半に成立したと言われる『万葉集 巻17』には、大伴家持によって当神社を詠んだ和歌が収録されている。

戦国時代末期の天正年間にも社殿が焼失するが、江戸時代に入り加賀藩の祈祷所となって復興した。

明治4年(1871年)には旧社格制度により国幣中社に列格された。
明治8年(1875年)9月16日、高岡城本丸跡の現在地に遷座した。


Our address

Address:
富山県高岡市古城1-1
GPS:
36.7489304, 137.02111779999996
Web:
http://www.imizujinjya.or.jp/

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