伊佐須美神社 : Isasumi Jinja

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伊佐須美神社(いさすみじんじゃ)は、福島県大沼郡会津美里町宮林にある神社。式内社(名神大社)、陸奥国二宮。旧社格は国幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。

会津盆地南縁の宮川沿いに鎮座する、陸奥国二宮・会津総鎮守である。「会津」という地名は、第10代崇神天皇の時に派遣された四道将軍のうちの2人、北陸道を進んだ大毘古命と東海道を進んだ建沼河別命とが会津で行き会ったことに由来するといわれ、2人が会津の開拓神を祀ったのが伊佐須美神社の創祀とされる。会津地方では、古墳時代前期にはすでにヤマト王権特有の大型前方後円墳が築造されており、王権勢力の東北地方への伸長の実情を考える上で重要な要素を担う神社である。

境内は広く、内部には鬱蒼とした社叢が広がる。社殿は平成20年(2008年)の火災で焼失したため、現在(2014年8月)は仮社殿を設けたうえで再建中である。また文化財として、室町時代の朱漆金銅装神輿(国の重要文化財)を始めとする多くの社宝・天然記念物・神事を現在に伝えている。

祭神は次の4柱。「伊佐須美大神」「伊佐須美大明神」と総称される。
伊弉諾尊 (いざなぎのみこと)
伊弉冉尊 (いざなみのみこと)
大毘古命 (おおひこのみこと、大彦命) – 第8代孝元天皇の皇子。四道将軍の1人で、北陸道を進んだとされる。
建沼河別命 (たけぬなかわわけのみこと、武渟川別) – 大毘古命の子。四道将軍の1人で、東海道を進んだとされる。

社伝によると、崇神天皇(第10代)10年に大毘古命・建沼河別命父子はそれぞれ四道将軍の1人として北陸道・東海道に派遣され、会津で行き会った。そして会津で中央の農耕技術・先進文化を伝えたのち、国家鎮護のために福島県・新潟県境付近の天津嶽(御神楽岳)に国土開拓の祖神である伊弉諾尊・伊弉冉尊を奉斎したのが伊佐須美神社の創祀であるという。その後は博士山、明神ヶ岳(波佐間山)を経て、欽明天皇13年(552年)に高田南原(高天原;現・あやめ苑)に遷座。そして欽明天皇21年(560年)に現在地の高田東原に遷座し、社殿を創建したと伝える。


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福島県大沼郡会津美里町字宮林甲4377
GPS:
37.45637079999999, 139.84027249999997

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