
熊野本宮大社(くまのほんぐうたいしゃ)は和歌山県田辺市本宮町本宮にある神社。熊野三山の一つ。家都美御子大神(けつみみこのおおかみ、熊野坐大神〈くまぬにますおおかみ〉、熊野加武呂乃命〈くまぬかむろのみこと〉とも)を主祭神とする。
熊野三山 – 熊野本宮大社境内は史跡「熊野三山」の一部である。当初、本宮大社社地は大斎原(本宮大社旧社地)のみが史跡「熊野参詣道」の一部として史跡として指定を受けていたが、2002年(平成14年)12月19日、熊野三山が熊野参詣道から分離・名称変更された際に、現社地が追加指定された。
1871年(明治4年)に熊野坐神社(くまのにますじんじゃ)として国幣中社に列格し、1915年に官幣大社に昇格した。
現在の社地は山の上にあるが、1889年(明治22年)の大洪水で流されるまで社地は熊野川の中州にあった。明治以後、山林の伐採が急激に行われたことにより山林の保水力が失われ、大規模な洪水が引き起こされ、旧社地の社殿は破損した。現在、旧社地の中州は「大斎原」(おおゆのはら)と呼ばれ、日本一高い大鳥居(高さ33.9m、横42m、鉄筋コンクリート造、平成12年完成)が建っている。
「熊野権現垂迹縁起」によると、熊野坐大神は唐の天台山から飛来したとされている。熊野坐大神(家都美御子大神)は、須佐之男命とされるが、その素性は不明である。太陽の使いとされる八咫烏を神使とすることから太陽神であるという説や、中州に鎮座していたことから水神とする説、または木の神とする説などがある。
家都美御子大神について他にも五十猛神や伊邪那美神とする説があり、菊理媛神とも関係する説もあるが、やはりその素性は不詳とされる。
古代から中世にかけて、神職はニギハヤヒの後裔で熊野国造の流れを汲む和田氏が世襲していた。
創建:不明(伝崇神天皇代、B.C.33年?)
旧社格:式内社(名神大)、官幣大社(現、神社本庁の別表神社)
本殿の建築様式:第一・二殿は入母屋造、第三・四殿は正面切妻造向拝付、背面入母屋造
祭事:夏越の大祓、年越の大祓など
摂末社:功霊社、祓戸神社、満山社、東石祠など
その他施設:宝物殿