物部神社 (大田市) : Mononobe Jinja

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物部神社(もののべじんじゃ)は、島根県大田市にある神社。式内社、石見国一宮。旧社格は国幣小社で、現在は神社本庁の別表神社。

宮中でも行われる鎮魂祭を行うことで、石上神宮および彌彦神社と共に有名である。ただし宮中が行う11月22日でなく、11月24日に行われる。
祭神の宇摩志麻遅命が石見国に鶴に乗って降臨したとも伝えることから、当社の神紋は赤い太陽を背負った鶴の「日負鶴(ひおいづる)」となっている。また、宇摩志麻遅命は大日本帝国海軍の戦艦石見の守護神とされ、神像が艦内に祀られていた。この神像は後に当社へ奉納されている。

主祭神
宇摩志麻遅命 – 物部氏初代
相殿神(右座)
饒速日命 – 物部氏祖神で宇摩志麻遅命の父神
布都霊神 – 所有していた剣の霊神
相殿神(左座)
天御中主大神
天照皇大神
客座
別天津神と見られる5柱の神
鎮魂八神

社伝によれば、饒速日命の御子の宇摩志麻遅命は、神武天皇の大和平定を助けた後、一族を率いて美濃国・越国を平定した後に石見国で歿したという。宇摩志麻遅命は現在の社殿の背後にある八百山に葬られ、継体天皇8年(514年?)、天皇の命によって八百山の南麓に社殿が創建されたと伝えられる。

神階は貞観11年(869年)に正五位下に叙され、同17年(875年)に正五位上に、元慶元年(879年)に従4位下に[1]、天慶4年(941年)に従四位上に昇叙した。延喜式神名帳では小社に列し、石見国一宮として歴代領主の崇敬を受けた。

社家については、景行天皇の時代に物部竹子連が石見国造に任ぜられ、その子孫は川合長田公を名乗り代々祭祀を行っていたというが、文治4年(1184年)金子家忠が安濃郡の地頭として赴いたときに子の道美が取って代わって当社の神主となり、以降金子氏が代々の祭祀を行うようになったという[3]。戦前に金子氏は出雲大社の千家・北島両家や、日御碕神社社家(島根県出雲市大社町)の「小野家」と並び、全国14社家[1]の社家華族(男爵)の一つに列する格式を有していた。


Our address

Address:
島根県大田市川合町川合1545
GPS:
35.1549415, 132.5134531
Web:
http://www.mononobe-jinja.jp//

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