宇倍神社 : Ube Jinja

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宇倍神社(うべじんじゃ)は、鳥取県鳥取市国府町宮下にある神社。式内社(名神大社)、因幡国一宮。旧社格は国幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。

祭神:

武内宿禰命
武内宿禰命は360余歳の長寿であったため長寿の神とされる。明治32年(1899年)、神社で初めて拝殿が日本の紙幣の図案となり、その後も数度社殿や祭神が図案となったため、金運・財宝の神ともされる。
なお、『神祇志料』は祭神を『国造本紀』にある因幡国造の祖先、彦多都彦(ひこたつひこ)命とするが、延暦3年(784年)撰述の『因幡国伊福部臣古志』にある伊福部氏の祖先、武牟口(たけむくち)命とする説もあり、本来は伊福部氏の祖神を祀り、後に武内宿禰命を祀るとされたとみられる。

祖神を祀ったとされる伊福部氏の居住したころが創建と思われる。『因幡国伊福部臣古志』には伊福部氏の第16世、伊其和斯彦宿禰(いきわしひこのすくね)が因幡国造となり、成務天皇から賜った太刀等を神として祀ったとあるのが当社の創祀かもしれない。吉田家本『延喜式神名帳』には、仁徳天皇55年、三百六十余歳の武内宿禰が因幡国の宇倍山中腹の亀金山に双履を残して行方知れずになったとある。なお、本殿裏に残る2つの「双履石」は古墳の一部であり、後に武内宿禰に関する伝説がつくられたとされる。当地は遺跡が多く、国府が置かれるなど、古くから因幡国の政治・文化の中心であり、当社も尊崇され、『延喜式神名帳』では因幡国唯一の名神大社に列し、同一宮とされた。承徳3年(1099年)、因幡守となった平時範が国府に初登庁した翌日に当社に参拝して奉幣や告文を行い、郡司からの利田請文を奉納したと知られる。

中世以降、社領を失って衰退し、天正9年(1581年)、羽柴秀吉の鳥取城攻めで社殿全てが灰燼となり、神職も離散したが、『鳥取藩史』によると、江戸時代初期、寛永10年(1633年)鳥取藩主池田光仲の社領25石の寄進を受けて社殿も復興したとされ、歴代藩主の崇敬を受けた。
明治4年(1871年)に国幣中社に列し、戦後は神社本庁の別表神社となっている。


Our address

Address:
鳥取県鳥取市国府町宮下字一宮651
GPS:
35.4790826, 134.2698477
Web:
http://www.ubejinja.or.jp/index.php

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