度津神社 : Watatsu Jinja

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度津神社(わたつじんじゃ)は、新潟県佐渡市飯岡にある神社。式内社、佐渡国一宮。旧社格は国幣小社で、現在は神社本庁の別表神社。

祭神:
主祭神
五十猛命 (いたけるのみこと) – 素戔嗚尊(すさのおのみこと)の子
配神
大屋津姫命 (おおやつひめのみこと) – 同じく素戔嗚尊の子で五十猛命の妹神
抓津姫命 (つまつひめのみこと) – 同上
これら兄妹3神は何れも木の文化を司り、林業・建築業・造船業の神と言われている。『佐渡一ノ宮度津神社参拝の栞』によれば、五十猛命は木材による家屋・舟・車の築造技術を盛んにした功徳により、またの名を大屋毘古神(おおやひこのかみ)と呼ばれている。また造船のほか航海術に秀で車の普及に当たったことから、海上・陸上の交通安全の守護神として崇敬されていると言う。

また、社名の「ワタ」は海の古語で、「ワタツ神社」は「海の神の社」という意味となり、元々は航海・漁労を司る海の神を祀る神社であったと推定したうえで、当神社が元は海岸寄りに鎮座していた、と言う説もある。社伝では、五十猛命の父のスサノオが人々に造船・航海の術を授けたことから度津神社と称するのだとしている。

往古の羽茂川洪水により社殿、古文書から別当寺にいたるまでことごとく流失したため、創建の由緒は不詳である。『佐渡國誌』には、寛永18年(1641年)1月21日付けの『飯岡村八幡宮證文之寫』が所収されているが、そこには「殊ひたの内匠立申候両社 仲哀天皇之御宇神祇之書物于今在社に御座候、・・・」との記述がある。このとき本当に『神祇之書物』が存在したのだとすれば、その内容によっては当神社が仲哀天皇の御宇である仲哀天皇元年-同9年頃、またはそれ以前に創建された可能性が出てくるが、縁起などが流失した洪水は寛永18年以前に起こったと伝えられている。

延長5年(927年)に『延喜式神名帳』により式内社、小社へ列格された。

『佐渡國寺社帳』によれば、往古の社地は東にあり、文明2年(1470年)羽茂川の洪水により社殿・古文書等ことごとく流失したので、同 4年(1472年)に本間氏が再建立したのだと言う。『佐渡志』では、古の祠は正和中に改修され、その後の文禄2年癸丑(1593年)6月の水災により社壇が流されたので同じ村の八幡宮に合祀した、さらにその後、旧地に祠を作ったが、なお八幡宮を相殿に置いたと述べている。
神道家の橘三喜は延宝3年(1675年)から23年かけて全国の一宮を参拝し、その記録を『諸国一宮巡詣記』全13巻[3]として著したが、当神社には延宝6年(1678年)に参詣している。前述のように、現在の当神社祭神の杜撰には橘三喜が係わっているのではないか、と言われている。

当神社の東前方には前述のように度津神社別当神宮寺があったが、明治の神仏分離令に際し帰農している。明治4年(1871年)5月14日には国幣小社に列せられたが、第2次世界大戦の終戦に伴い旧社格は廃止され、その後、当神社は神社本庁が包括する別表神社となっている。


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新潟県佐渡市飯岡550-4
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37.8602277, 138.33062369999993

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